仕事で見た世界の記憶

こんにちは。isorokuです。

この記事では、私が仕事のために長期滞在した国や地域での思い出や感じたことをまだ覚えているうちに記録したい思います。

社会人になって6年半が経って、そのうちの3年半は出張先で過ごしました。

たくさんの人に出会った反面、昔馴染みの友人や、上京してから出会った友人とは疎遠となってしまいました。

色々大切な物を失って得たものが何かあったのか、最近よく考えてしまいます。

どの仕事も本当に大変で、100%の力を出し続けて乗り越えてきました。

その結果、今少し燃え尽き症候群になっているように思います。

楽しかったことは本当に一部分だけだけど、

どんどん忘れてしまっていて、今まで何をしていたのか分からなくなってきてしまっています。

今回は、まだ記憶に残っている綺麗な思い出を文章の形で残しておきたいと思います。

今のわい
今のわい

過去の記憶がどんどん薄れていく…

台湾編(2016年〜2018年)

私の最初の出張先は台湾の高雄でした。2016年11月〜2018年2月まで日本と台湾を行き来して仕事をしていました。台湾での仕事は私の考え方を大きく変えてくれたと思います。

台湾での生活

私は、台湾に行くまで台湾は隣の国であるにもかかわらず、どんな国なのかよくわからずにいました。中国語は謝謝と你好くらいしか知らなかったし、東日本大震災の際には大きな支援をしてくれた親日の国というくらいだったと思います。

私が最初に見た台湾の景色は、飛行機の窓から見た夢時代というデパートのライトアップされた観覧車がでした。キラキラ光った観覧車が非常に印象的でした。

空港の外に出ると、初めて嗅ぐ匂いがして海外に来たのだなぁと認識しました。ホテルに着くと、ほぼ完璧に日本語を話せる受付スタッフの方がいて、驚いたのを覚えています。

台湾に来て最初の夜は、仕事で海外出張にきたことに非常に興奮していました。おそらく、22時、23時くらいに自分の部屋に着き、綺麗な部屋に驚き写真を撮っていました。

初めは、ホテルの外を出ると言葉が全く分からず、地下鉄に乗ることも飲食店で食べ物を注文することもできませんでした。そんな状態からトータルで約1年間台湾に滞在しました。たくさんの台湾人に親切にされて、とても心が暖まりました。

世界で最も美しい地下鉄駅の一つ美麗島駅
台湾の美食

台湾にはたくさんの美味しいお店がありました。ホテルの近くの日本食屋さんで食事をすることが多かったですが、時間に余裕のある時は小籠包を食べに行ったり、火鍋を食べたりと美味しい食べ物がたくさんあることに感動しました。

怖い大先輩たちと食事をするのは緊張するため、十分に楽しめませんでしたが、いつかプライベートでゆっくり台湾の美食を楽しみたいと思っています。

以下、いつかまた食べにいきたいものリストです。

  • 小籠包
  • 熱炒(特に金沙軟殼蟹、月亮蝦餅)
  • 滷肉飯
  • 雞肉飯
  • 鴨肉飯
  • 炸醤麺
台湾での思い出

台湾での思い出は尽きることがないくらいたくさんありますが、私は台湾でできた友人と行った阿里山が一番思い出に残っています。

阿里山は台南の北、台中の南に位置する嘉義と呼ばれる台湾中部に位置する山です。高山茶の代名詞である阿里山茶が有名です。

嘉義駅から電車で行くこともできるようですが、私は友人の車に載せてもらい連れて行ってもらいました。

車で登れるところまで登って、そこからは歩いて展望台を目指しました。普段は見晴らしがよく、日の出の名所となっているようです。当日は残念ながら曇りで何も見えませんでしたが、いい思い出になっています。

神木と呼ばれている木を見たり、買い物をしたり、1日かけて観光しました。夕食の時にテラス席から見た嘉義の町の夜景は忘れることができません。

台湾で仕事をして感じたこと

日本と比べて時間がゆっくり流れている印象を受けました。仕事で失敗しても日本みたいに細かいことは気にせず、最終的に結果を出してくれれば問題ないよという態度で接してくれたので、非常に仕事がしやすかったです。

日本と違ってお客さんが横柄な態度を取るようなこともありませんでした。一緒に仕事をしている感じで、難しい仕事でしたが、たくさんの人に支えられてなんとかやり切ることができました。

遅くまで仕事をしていると水餃子を差し入れしてくれたり、ピザパーティー北京ダックパーティーを仕事中に開いてくれたり、日本では考えられないことなので驚きました。

私は台湾の仕事をして初めて、自分のした仕事に対して感謝の言葉をいただくことができました。それまでは残業は当たり前で仕事が厳しく、毎日生きているのが辛くてしょうがなかったけど、台湾の心優しい人たちに触れて、心が癒されました

もし、私の最初の現地での仕事が台湾でなかったら、とっくの昔に仕事をやめていたと思います。いつか、もう一度台湾で仕事をしたい。そう心から思っています。できることなら台湾のためになる仕事をしたいです。

年に一度行われる氣球フェスティバルの様子

中国・上海編(2018年)

上海での生活

上海に初めて行った時はとにかく警戒していました。入国前に全ての指の指紋を取られ、警備体制も厳しく、不安が大きかったです。

空港で現地法人の方が待っていてくれているはずでしたが、いきなり行き違いになり連絡手段もなかったので自力でタクシーを拾ってホテルまでたどり着きました。

当時、私は中国語をほとんど喋れなかったので、同行していた先輩がいなかったら大変なことになっていたように思います。

上海では宝山地区と呼ばれる少し外れにある工業地帯で生活をしていました。最寄り空港の上海浦東国際空港から高速道路で飛ばしても1時間はかかったように思います。

上海への出張はトータルで2ヶ月という短い間でしたが、中国に対する見方が変わりいい経験になったと考えています。

上海にも親日的な人は比較的多く、日本のメディアに如何に洗脳されていたか思い知りました。但し、台湾とは少し雰囲気が違い、台湾にいるとあまり外国にいる感覚がしませんが、上海に行くとやっぱり自分が外国人なのだと実感しました。

剣道をやっていると言っていた友好的なタクシーの運転手さんや、日本人向けの居酒屋で出会った中国人女性など、私が思っている中国人から見た日本人の印象が私が考えていたものとは大きく違ったので驚きました。

お隣の国同士で、同じ漢字を使っていて、大昔から付き合いのある国なので、もう少し仲良くできたらいいのになと思いました。

私が滞在していた頃はちょうどザリガニが旬の時期だったらしく、店先や職場の食堂でザリガニ料理を見かけて驚きました。

流石にザリガニはチャレンジできませんでしたが、羊肉の串焼き(孜然烤羊排)など美味しい料理もありました。

上海での思い出

上海で一番印象に残っているのは夜の外灘に一人で行ったことでしょうか。外灘は昔、西洋人が住んでいた地域で、洋風の建物がたくさんあります。

街の突き当たりに長江が流れていて、電飾さあれた船がたくさん流れて行っていました。とにかく人が多く、活気に溢れていました

街の電飾が綺麗でした。派手すぎるという人もいましたが、私は近未来的な街並みに見えて好きでした。

今はどうなっているのか気になります。いつかまた行く機会があればいいなと思います。

外灘から見た景色
上海で仕事をして感じたこと

上海での仕事では関わった人が5〜6人程度なので、どれが標準なのかはわかりませんでしたが、非常に真面目な人もいれば、本当に最低限の仕事しかしないような人もいました。

また、比較的協力的ではありましたが一緒に仕事をしているような感じではなく、普通にお客さんと作業員の関係でした。

それでも、優しかったです。作業が夜遅くまでかかることがわかったら、休憩で食堂でご飯食べに行こうと誘ってくれたりカップ麺(泡麵)を買ってきてくれたりなど。

上海でもいつかまた仕事をしたいと思っています。上海では期間が短かったこともあり、友人を作ることができなかったのが少し残念でした。

イタリア編(2019年)

イタリアでの生活

イタリアにはおよそ1ヶ月滞在しました。私の出張の中では最短のものだったので、あまり現地の暮らしを知ることはできませんでしたが、おそらくもう一生行かないような田舎に1ヶ月間滞在することができ、良い経験となりました。

道中は直行便がないため、一度フランスでトランジットがあり1日がかりで目的地までたどり着きました。移動だけでヘトヘトになりました。

私が滞在したのはNoviと呼ばれる、ミラノの南部にある田舎町です。チョコレートが有名です。あと、大きなショッピングモールがあって、中国人の団体客をよく見かけました。

イタリアでの思い出

イタリアでの思い出は弾丸で出かけた日帰りのミラノ旅行でしょうか。高速バスを利用しミラノまでおよそ1時間かけて出かけました。

海外での高速バスの予約自体初めてで、電子決済で少し不安でしたが、なんとかチケットを購入することができました。

ミラノではドーモと呼ばれる大聖堂や、オペラ座、昔のお城などを見学しました。大聖堂は写真で見るのと比較して圧巻で、大聖堂を見るだけでもミラノに行って良かったと思いました。

帰りのバスでトラブルが発生し、途中下車する予定だったのに運転手が把握しておらず、ジェノヴァまで連れて行かれそうになり焦りました。

イタリアも観光業が非常に盛んな国ではありますが、サービス業の質は日本とは比較してはいけないと思い知りました。

イタリアで仕事をして感じたこと

イタリア人はラテン系であまり仕事に熱心でないイメージがありました。しかし、実際に仕事をしてみると、自分の仕事に誇りを持って真面目に仕事をしている人もいるし、陽気で不真面目な人もいました。

英語が通じないおじさんエンジニアと、悪戦苦闘しながら色々調査して、あちこち目当てのものを探し回ったのは良い思い出です。

また、日本人が珍しいようで、ビデオチャットで自分の息子に今日本人と仕事しているよと、話をさせてくれたおじさんもいて、なんか新鮮でした。

イタリアは意外と英語が通じない人が多いです。もちろん日本人と比べたら全然マシだけど、簡単な英語でも全く通じない人もいて驚きました。

イタリアは日本と同じように高齢化が進み、経済も停滞気味の国です。陽気なようで、そのことにフラストレーションを感じている人も多いようで、意外な発見でした。

日本・広島編(2018〜2019)

広島で仕事をして感じたこと

私が唯一国内で仕事をしたのは、広島県です。海外と比較すると予想通り日本の仕事が一番厳しかったです。とにかくミスが許されない現場でした。

確かに言葉が通じるのは仕事をする上で楽でしたが、その反面何か問題が発生した時など細かな説明や、再発防止策が求められ、大変な仕事でした。

今では考えられませんが、熱が38℃以上出ているのに病院に行ってインフルエンザでなかったら、午後から現場に出てこいと言われたり、

トラブルが発生したら徹夜で調査してさらにそのまま日中も作業し、結局30数時間ぶっ続けで仕事をしていたこともありました。

日本は公共サービスが整っているし、街も清潔で、サービスの質も非常に高い国です。教育の水準も均等に高いと思います。

伝統もあり、外国人から旅行に行きたい国として人気があるのは納得できます。

ですが、仕事をするとなると33カ国中32位とフィリピンや南アフリカよりも順位が低い結果となっています(HSBCホールディングスが発表した2019年の「各国の駐在員が働きたい国ランキング」より)。

顧客との関係、上司との関係、長時間労働、低賃金、今のままでは日本で働く人がいなくなりそうです。

最近、Youtubeやブログなどで生計を立てようとしている人が増えているのも日本の労働環境がストレスフルすぎるからという理由が大きいように感じます。

厳しい反面学ぶことも多いのですが、体壊してまで働くのは考えものですよね。

終わりに

仕事で私が長期出張した国と地域について振り返ってみました。

私は辛い思い出は忘れやすく、今振り返るとどれも楽しかったように感じます。

もちろん、出張に行っている時は少しも余裕がなく、気分が落ちていることもたくさんあります。

日本人は細かいことにうるさい一方で、海外は主張の激しい人が多くいます。

そんな人たちと遣り合うには強靭なメンタルが必要になります。

今後も、仕事を続けていけそうであればこの記事に世界を飛び回る記録を追記していきたいと思います。(需要があれば各トピックを深掘りして記事にしていきたいと考えています)

最後まで、読んでいただきありがとうございます。

それでは、また!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です